潰瘍性大腸炎ブログ

14歳の少女が潰瘍性大腸炎になった話

痔じゃなかった、けど。

とても背の高いギタリストの布袋似の

消化器内科のドクターに

潰瘍性大腸炎という病名を告げられ

即入院することになりました。

 

痔じゃなくてよかった・・・

自分は、難病なんだ・・・

テレビとか、本のなかの世界だと思ってた

 

病気の子なんだ・・・・

 

入院て初めてだな・・・

この先どうするんだろう、部活いけないよね

どれぐらいの入院?

お金かかるよね・・・

 

母はいくつかの質問をしていたと思いますが、

あまり覚えていません。

 

いったん診察室からでて入院手続きなどのため、待たされることに。

 

ふと、隣に座った母の顔を見ると

色々な感情が溢れ出し号泣しました

嗚咽するほど泣きました

母もまた、私の背中をさすりながら泣いていました。

それを見てまた、悲しくなって涙が止まりませんでした。

 

当時は14歳で発症する例が少なかったということで、

検査にたくさんの時間がかかりました。

そして、私は潰瘍性大腸炎のレベルの中でも最低な病状で

全大腸型と言われ、部分的ではなく全体的に腸がただれ

粘膜がはがれて血便が出ている状態でした。

 

地元の古い病院だったので、小児科でしたが高齢者と同じ病室で

その日から絶食、点滴投与の治療が始まりました

 

絶食をし、腸を休ませ緩解に持って行けたと思ったら

また再発、入院、退院、入院、退院

何度入退院を繰り返したかわかりません。

 

入院をするたびに学校の友達から寄せ書きが届き、

またすぐ入院になるのに・・と

なんとも言えない気持ちになった。

 

 

 

 

潰瘍性大腸炎と知るまでは本気で痔だと思っていた。

 

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14歳の中学2年生の修学旅行が終わって

1週間もしない時だったと記憶しているのだけど

 

今まで味わったことのない腹痛に襲われました、

トイレの便器の中が真っ赤に血に染まっていた

それは、本当に突然のことでした

 

当時の私は一言でいうと元気もりもりでひょうきんな子

だったので、母に「おなかが痛いから学校休みたい・・・。」

なんて絶対に言えませんでした。

たぶん言っても「学校行ったら治るわいね。」

と言われると思っていたし、

風邪もひかない健康な子供時代でしたので、

学校を休もうと思ったことすらなかったのです。

 

 

最初は痔だと思った

もう一つの理由としては、

痔だと思っていたからでした。笑

14歳ですよ、多感な時期ですよ、おとめちゃんだった私は

自分が痔だってばれたら、そんなことがもしあったら

4つ上の兄と4つ下の妹に馬鹿にされる羽目になる・・・

 

そんなどうでもいいことが引っかかって母や父に

血便が出ていることを打ち明けられませんでした。

 

そして、何日間は我慢をしていつものように

ハードな部活の朝練、学校、夕方の練習、といつもの日々をすごしていました。

 

そしてその日は訪れました

朝、トイレに行ったら信じられない量の血便が・・・・

とうとう切れ痔じゃ・・・

自分の中で痔が確定しました。

 

そして、腹痛がひどすぎてトイレからでて

リビングで倒れて立ちあがれなくなりました。

 

そこで母に打ち明けました

「母さん、おなかが痛いんよね」

「え?」

「血が出よんよね。」

「なんではよ言わんのんね!」

案外すぐに信じてくれ、私はようやく近所の町医者に行くことになりました。

 

 

肛門デビュー

病院に行くと

当然ですが、おしりを出して横向きになるように促され

ダサいパンツの日なのに、彼氏もできたことないのに

と3秒くらいで色んな事が頭に浮かびましたが

心を無にし、心を無にし・・・

肛門を診せることに・・

 

指をつっこまれ

「はい、息抜いてね~。はい、はぁ~、はい!いいよ~」

検査は一瞬でした。そして

 

大きな病院に行くことをすすめられました

そこでも肛門をおじさんに先生に診せ

そして初めて大腸検査を経験しました

地元の古い病院だったこともあり、犬のトリミング台のようなものに乗せられ

 

情けない気持ちになりました

当時は、睡眠薬のようなものは使わなかったので

カメラを入れるだけで激痛が走り、検査どころではありませんでした。

それでも無理やり組織検査まで行い、血液検査やCT、他にも様々な検査をしました。

 

そして、告げられたのは

潰瘍性大腸炎。」

という病名でした。